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作家

M・ユトリロ
Maurice Utrillo

作品
  • パリのポワソニエ通り 1933頃 25F

  • ル・ラヴァンドゥー 1933頃 ガッシュ 33x50

プロフィール

1883 パリ18区のポトー街に、のち画家となるシュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれる
1891 スペイン人画家ミゲル・ユトリロが自分の子として認知、以後、ユトリロ姓を名乗る
1896 初等教育を修了、母方の祖母とピエールフィット=スュル=セーヌに住む
               母ヴァラドン、商社重役のポール・ムジスと結婚
               パリのロラン中学に入学する
1900 中学を退学し、銀行員をはじめとして職業を転々とする
1904 パリ、サン・タンヌ精神病院に入院しアルコール中毒を治療、医者の薦めにより絵を描きはじめ、モンマニーとパリのセーヌ河岸の風景を描く
モンマニー時代(〜1908年)
1908 印象派(シスレー、ピサロ)の影響を受ける
               糊や砂を混ぜた石灰やセメントを用い独自のマチエールを作りだす
1909 サロン・ドートンヌに《ポン・ノートル・ダム》他一点を初出品
               作品がはじめて画商(ルイ・リボード)に売れる
1910 この頃より、白の時代がはじまる(〜1914年頃)
               母ヴァラドン、ムジスと離婚
1912 サノワのルヴェルテガ博士の病院に入院、以降、1921年まで入退院を繰り返す
1913 ウジェーヌ・ブロ画廊で最初の個展(1912〜13年作の31点)を開催し、好評を得る
1914 オテル・ドルオでの競売会でユトリロの作品が初めて高値で売れる
               母ヴァラドン、アンドレ・ユッテルと結婚する
               白の時代の傑作を何点も制作する
1917 ベルネーム・ジュヌ画廊、ベルト・ウェイル画廊で、ユトリロ、ヴァラドン、ユッテルの3人展を開催
1918 作品の価格が上昇をはじめる
1919 ルプートル画廊で個展を開催、大成功を収める
1920 この頃より、色彩の時代がはじまる(〜1955年頃)
1921 ベルト・ウェイル画廊でユトリロ・ヴァラドン二人展が2度開催され、大成功を収める
1923 サロン・ドートンヌに《ムーランの聖堂》を出品、好評を得る
1925 セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団の舞台装飾を担当する
1928 レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章と教育功労勲章を授与される
1935 銀行家の未亡人、12歳年上のリュシー・ポーウェルと結婚する
1937 画商ポール・ペトリデスと契約する
1938 母ヴァラドン死去
1948 サロン・ドートンヌでユトリロの回顧展が開かれる
1950 ベニス・ビエンナーレのフランス館1室にユトリロのために与えられる
1955 「パリ・キャピタル」のために10枚のリトグラフを制作
               パリ市から金メダルを授与される
               南仏のダックスに滞在中、肺充血で急逝(享年71歳)

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