取り扱い作家

取り扱い作家 > 国内物故作家 > 佐伯祐三

佐伯祐三
Yuzo Saeki

画廊に問い合わせる

作品

プロフィール

1898 大阪府中津村の光徳寺に四男三女の次男として生まれる
1915 北野中学4年の頃から油絵を描き始め、大阪府梅田にあった赤松麟作が指導する画塾に通う
1917 上京して川端画学校洋画部に入り、藤島武二の指導を受ける。
               ここで生涯親交の続いた山田新一を知る。
               秋には岡田三郎助の本郷洋画研究所の夜間部にも通う。
1918 4月東京美術学校西洋画科予備科に入学、10月同本科に進級し長原孝太郎に石膏デッサンの指導を受ける
1919 西洋画科2年に進級し小林萬吾に油彩画の指導を受ける
1920 父祐哲死去。
               池田米子と結婚、東京府下落合にアトリエを新築して住む
1921 弟祐明が結核で死去。秋、祐三も軽い喀血をし、三ヶ月休学
1922 長女弥智子生まれる。この頃、曽宮一念を通じて中村彝に共感する
1923 東京美術学校西洋画科を卒業。同級生7人と薔薇門社を結成し、5月第一回展を開く
               米子、弥智子を伴い神戸港より渡欧
1924 パリ郊外のクラマールに住み、アカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエールの自由科に通う
               オーヴェール・シュル・オワーズにヴラマンクを訪ねるが、叱責を受け転機となる
               秋にはオーヴェール、ヴァルモンドワ、ネル・ラ・ヴァレなどを写生旅行
               パリ市内のリュ・デュ・シャトー13番のアトリエに引っ越す
1925 サロン・ドートンヌに《コルドヌリ》、《煉瓦屋》が入選
1926 帰国。下落合のアトリエに戻り、里見勝蔵、前田寛治ら5人で「1930年協会」を結成し、
               第1回展を開く
               第13回二科展に特別陳列19点を出品し、二科賞を受賞する
1927 第八回中央美術展などに出品、東京新宿の紀伊国屋書店で個展を開く
               作品を売却し、シベリア経由で第2次渡欧。パリのブールヴァール・デュ・モンパルナスの新築のアトリエに落ちつく
               サロン・ドートンヌ25年記念展(審査委員長キスリング)に《新聞屋》と《広告のある家》を出品し入選。前後して、ポール・ロワイヤル周辺での《カフェ・レストラン》の連作が始まる
1928 小雨の中での写生がもとで持病の結核を悪化させ、病床に伏す
               《郵便配達夫》《ロシアの少女》を制作後、喀血
               肺結核の進行に神経衰弱も加わり、失踪・自殺未遂事件を起こし、郊外のヌイイ・シュル・マルヌにあるセーヌ県立ヴィル・エブラール精神病院に入院
8月16日、同病院で死去。享年30歳。
               同30日、結核が感染した弥智子も死去(6歳)


展覧会

2023 野獣派フォーヴィズムの旗手たち -ヴラマンク・里見勝蔵・佐伯祐三-(日動画廊/東京)

©Gallery Nichido